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時代を読む

嫉妬する人される人

  1. 嫉妬を制するものは、人生を制す
    という題の本がでました。(谷沢永一著、幻冬舎)いわば日本人論で大変おもしろいので紹介します。以下その抜粋です。

  2. 人間性をとことん煮つめ煎じつめたら最後にどす黒い嫉妬の魂が残る
    東洋史学者の内藤湖南が、こんな言葉を残しています。いわく、「世界歴史とは、下層が上へ上がっていくプロセスである」と。
    その後、日本の歴史もたしかに下から上がっていく繰り返しです。鎌倉の名家でない足利氏が下から上がっていき、農民の子から秀吉も成り上がり、名家でない徳川氏が上がっていく。

  3. 潔い身の処し方とは何か
    いまの日本人が心にとめておかなければならないのは、身の処し方についてです。その点、かつての政財界人は潔さを身につけていました。その一つに三井物産の例があります。いまでもそうですが、昔は、七つの海で三井物産の旗が翻っていないところはないと言われるほど、世界を股にかけた大商社だったのです。その三井物産を、ほとんど一人で築き上げたのが、益田孝という男です。彼は若くして三井に入りますが、腕をふるおうとしたときに井上馨が出てきます。井上馨は三井の守護神のつもりで、三井の中がまだ十分に近代化しておらず、よほどのやり手が必要だとして、当時、山陽鉄道の社長だった中三川彦次郎を見込んで引き抜きます。全権を持つ者として三井へ放り込むのです。中三川彦次郎は、福沢諭吉の甥にあたる人物です。この中三川は周りを気にしない人で、たまたま彼は慶応出身だったので、慶応の人間ばかりを採用しました。その人たちはすべてその後対象昭和期の大会社の社長をつとめた人材で、日本経済界を代表するような人間ばかりを集めたのです。中三川は、そうした独裁権力を握り、工業中心主義を押し進めました。炭鉱をつかんで、ものづくり会社を作っていくのです。一方、益田は工業中心ではなく、商社路線で行きたいと考えていました。しかし、中三川に対抗してもしかたがありません。なんと十年間も彼の後ろに回ってじっと我慢するのです。そして、中三川は若くして四十七歳で亡くなります。益田はそれまで待って、それから自分の思いどおりに腕をふるい、今日の三井物産を築き上げるのです。待つということが、いかに大事かということです。

  4. 日本人の嫉妬心は強烈だがスケールは小さい
    いまの醜き年寄りたちが若かりしころは、上をたたき落としてのし上がってやろうという人ばかりでした。ところが、いまの三十代、四十代の人たちはどこかで社会的にしかるべき地位を得ています。しかも、この連中は冷めていて、「上へあがってもしかたがない」と思っているのです。ということは、パイが広がったということです。かつてはパイそのものが少なく、年寄りたちは「それを若者に渡したら自分たちが排除される」と思い込んでいました。だから、いまは日本史上最高に平和な時代になっているのではないでしょうか。したがって、激しい嫉妬心も身をひそめています。今の日本人は嫉妬心は強いけれど、そのスケールは小さいのではないかということです。

  5. 田中角栄を「闇の帝王」と呼ぶ人もいましたし、私も「出番を間違えた千両役者」と書いた事があります。彼はもともと幹事長止まりの政治家なのです。あまり欲を出さす、古今を絶する名幹事長として、影で実力をふるったらよかったのです。しかし、彼は首相を目指して突進してしまいました。

  6. 嫉妬が生まれにくい会社とは
    会社にも嫉妬が生まれやすい会社と、生まれにくい会社があります。その違いは、ミドルつまり中間管理職より上の者たちの人間観察眼によります。正しい人間観察眼をもって、さながら信長のように、あるいは秀吉のようにさまざまな能力に応じて人を抜擢すれば嫉妬心は生じないでしょう。ただし、抜擢といっても大抜擢をしてはいけません。嫉妬を避けるためには、あくまでも小抜擢にすべきなのです。最近、日本の会社でも年功序列をやめて能力主義を導入するところが増えています。しかし年功序列を完全にやめてしまうのはいけません。会社というものは、心を安堵させて安らかに勤められる条件と、能力に応じて伸びる条件と、その二つを兼ね備えていなくてはならないのです。

  7. 競争心とお世辞を上手に操れ
    日本の陸軍と海軍は犬猿の間柄でした。近い者ほど嫉妬がきついのです。司馬さんもかいているように、旅順港は乃木希典の作戦指揮のまずさから、なかなか落ちませんでした。そのときに海軍が「こっちから撃ちましょうか」と水を向けるのですが、参謀長は「海軍の世話にはならん」と断ってしまいます。このとき、大事なのは、自分達の面子の問題であって、日本のためという大義は吹っ飛んでいるのです。旅順攻略は難航し、攻撃開始から五ヵ月後にようやく陥落しましたが、その間十三万人の兵員を投入、約六万人が死傷しました。こうした例は普通の会社でもよくあることです。商社でも、銀行でも、あっちの部署の助けだけは死んでも借りたくない、という意地の張り合いがあります。しかし、そうしたときに表立って「世話にならん」と言う人間ほど小人物だといえるでしょう。自分の役割を無視されたように感じて、嫉妬するわけです。「顔をつぶされた」という恨みは根が深く、人の心をかたくなにします。

  8. 徳川家康は嫉妬を利用した天才
    加藤清正に秀吉は五十万石も与えたわけですから、秀吉にすれば何も問題を感じていません。ところが、清正とすればそれでは足らず、そんなところへ三成の他に五奉行の連中が入り込むのです。
    こうなると清正は嫉妬の塊です。その嫉妬を利用した最大の事件が、関が原の戦いです。
    太閤に対して嫉妬心を持っている連中を全部抱え込んで、それを武力にしたのが家康でした。その点で、家康は日本史上最大の政治家・策略家といえます。
    失脚した創業の大経済人はたくさんいますが、その要因はすべて秀吉と同じ錯覚に陥ったことにあります。つまり、創業の臣と守勢の臣とでは思い入れが違うのに、すべてが同じだと思ったことです。

  9. 漢の韓信
    引退しなかったいちばんの愚か者は韓信でした。韓信はまさに自分こそが前漢を作ったいちばんの功労者であると信じていますから、やがて高祖からその自慢の鼻柱を叩かれることになります。天下取りの戦が終わったあとは、有能な部下への嫉妬がしだいに大きくなってしまうのです。その嫉妬を避けるためにも、使い捨てられるより先に、潔く引退してしまうほうが勝ちといえるでしょう。

  10. 百人のうち十人は拗ねてヤル気をなくす

  11. 目下のわが国では、父と娘と二代を経るのみで、早くも名家を気取ることができる。
    家柄の促成栽培とでも言おうか。現代の日本人は、すべて潜在的な名家と思ってよいのである。
    大名の祖先は野に伏し山に伏し

  12. 最大の不幸は"自分に近いやつが出世する"こと
    横並びこそ世の掟である。抜け駆けは日本人のもっとも忌むところである。今までおなじ間口の長屋に軒を並べていたくせに、突然表通りに店をかまえるとは、これはなんとしたことであるか。なにかよほどの隠れた事情があるにちがいない。そのうすぐらい裏面があばきたてるまで、しばらくは顔をあわせても知らぬ顔でいようじゃないか。

    敵は本能寺にあり、ではない。敵は身近にあり、である。

    日本人は頭と頭とを突きあい、腕と腕をからませ、肌と肌とすりあって生きている。密着しては小競りあいし、戦ってはまた歩みよって密着する。この循環行動がすなわち日本社会における交際である。こうしてはてしなくエネルギーを消費するから、それゆえ日本人は団結しない。そんな余計なことにふりむける精力が残っているものか。日本人の本性は徹底した個人主義である。個人主義者は、自分が組織に従属するのは惨めであり卑屈であり、おのれを見失う愚挙であると感じて恥じる。とりわけだれか雄姿颯爽たる指導者にしたがうのを屈辱と信じる。ああ、指導者、てめえ何様だと思ってるんか、見ろ、あの、胸をそらして、右手をあげて、喚いている格好を見ろよ、一人いい気になってやがる。阿保らし。わが国では、かりそめに寄り集ったり動員されたりした集団、というより群れが、持続することはなかったし今後もありえない。何かが力を持って方向を定めて効果を生むには、それが、ある一定期間続く、ことが不可欠の条件である。締めつけられた日本人は続かない。

  13. 嫉妬は人間の本性である。これをいちがいに否定すべしと見たラ・ロシェフーコーは間違っている。嫉妬は万有引力のようなものであると言った松下幸之助がもっとも卓越している。万有引力に呪いをかけて消滅しうるか。すなわち嫉妬もまた人間の本性の一つと考えるべきである。松下幸之助は語をくわえていわく、嫉妬を黒焦げにするな。きつね色に焼け。達人の言である。

  14. 嫉妬は地の塩である。嫉妬はエンジンである。嫉妬は浮揚力である。嫉妬は人間を鍛える砥石である。性欲と同じように嫉妬は、人間世界に栄えありという天の意である。

    ということです。

今日の言葉「嫉妬するより、嫉妬される人になれ!」
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[2004.09.15]

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