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思わぬ発見

1.「戦国時代の天正6年(1578年)、
 尼子氏の家臣山中鹿之助の長男新六幸元が遠縁を頼って
 ここ鴻池村に住みつき、酒造りを始めました。
 最初は濁り酒を造っていましたが、慶長5年(1600年)に
 双白澄酒(清酒)の製法を初めて発見することができました。
 この清酒を江戸(江戸幕府だけに販売を限定した?)へ運んで、
 販売し、次第に財を貯え、後に分家を大坂に出して、
 酒販売・海運業・金融業でも成功を収めました。
 これが豪商・鴻池家の始まりです。」(ネットより)、
 これより先は私の過去のメモからです。

2.では何故清酒ができたのか?
 清酒が出来るまでは、どぶろくでした。
 それではなぜ清酒が開発できたのか?
 俗説によりますと、鴻池家の奉公人が、
 使い込みをしてクビになり、頭にきて、
 商品である大量のどぶろくをダメにする目的で、
 夜中に火鉢をもちだし、貯蔵用の酒樽にその火鉢を
 ほうりこんだ。
 ところが、一夜明けてみますと、それが清酒に変わっていた。
 これが清酒誕生の秘話なんだそうです。
 (後にそれを藤山寛美が脚色して芝居にした。)

3.これは、今で言う企業秘密ですから、
 他の酒蔵のスパイが奉公人に化けて、ドンドン入って来て
 調べてもわからなかったと言います。
 真偽はわかりませんが、灰を入れるだけで清酒になるなんて、
 スパイも想像しなかったらしい(笑)
 ちなみに山中鹿之助は、「願わくばわれに七難八苦を与えたまえ」と、
 神に念じた人でもあります。(そしてその子孫が逆に思わぬ幸運をあてた?)
 でも今は、私も含めて自分に困難をくれなんて言わない。
 だから子孫にも幸運が与えられない(笑)
 「先憂後楽」も死語ですものね。
 「後楽園」が東京ドームに変ったとき、
 これは死語になったという言い伝えがあります。
 ウソウソ(笑)

ほんごうでした


[2010.02.10]

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